こんにちは。ゆきんです。
お布団からなかなか抜け出せなくなってきた朝ですが、
天気が良くて気持ちがいいですね。
10月に入っても夏模様で
気づいたら11月も終わり!!
ついついこんな天気がいい日はいつもより欲張ってしまって
猫たちのクッションを干したり、
布団を干したり、
シーツを洗ったり、洗濯もいつもより多めに回して
狭いベランダが洗濯物などでみっちりしています
でも風に揺れて洗濯物が揺れている姿は気持ちがいいですね
しかし日が短くなったのであっという間に夕方になってしまって
それは悲しい
外国に憧れた子ども時代
さて今日は、何を話そうかな・・・
私はそんなに海外生活をしたり、旅行をたくさん行ったわけではないのですが、
海外への興味好奇心が子供の時からすごく強い子でした
戦後の復興が進む横浜で、身近に外国人などや海外製品の多い港町で母は育ちました
そんな母の影響が大きいかもしれません
小さい頃見せてもらった母の昔のスケッチブックには
当時のハリウッドスターのスケッチがたくさんあったのを覚えています
だから私は今でも古い映画も好きです
映画=洋画という母の固定概念があったので、
夏休みのアニメ!みたいな映画は見せてもらったことはなく、
映画は、幼い私にも容赦なく字幕の洋画でした
そんな環境なので自然と洋画も海外ドラマも好きになり、
いつか海外で暮らしたいなぁと思って育つようになるのですが、
今みたいなインターネットやSNSがない時代だったので
情報も少なく、海外ってなんだか遠い話でした
遠い親戚にアメリカに住んでいる人がいたり、
インターナショナルスクールに通う知人がいたりして
学校にいく機会があるだけでなんて素敵なんだと思いましたし、
海外出張に行く叔父からもらう海外のコインは宝物でワクワクしたものです
どうしてうちのお父さんは海外に仕事に行かないんだろうか
私もアメリカに引っ越したいのに・・・(父はそういった大手企業社員でもなんでもない)
私もインターに転校させてもらいたい!(一般庶民の無謀な希望)
と何度か母を困らせることを本気で言いつつ、小さな私はそんな夢を馳せていたのですが、
何しろ父も母も横浜育ちの地元民なので
海外はもちろん、親族も遠方にほとんどいないほどの地元密着・・・
そのため、飛行機に乗ったこともありません
祖父母も一緒に住んでいたので田舎のない子供で、
父も多忙な仕事マンで家庭的なタイプではなかったので
家族旅行なんて行くこともほとんどなく、
友達が「夏休みは、飛行機でおばあちゃんの家に行く!」とか
「家族で海外旅行!」なんて聞くとすごーくうらやましかったです
遠方に飛行機で旅行への憧れ!!!
そんな私が、
始めてアメリカに海外研修に行ったのは、
高校二年生の夏休みなのでまだ16歳だったのですが、
初めての飛行機!初めてのパスポート!初めてのアメリカ!というか海外!!ということで
夢見心地の出発でした♪
まだまだ子どもの私たちなので、
長期に一人旅立つことで、周りでは出発前から親とのお別れに泣く子続出、
そんな中、私は能天気にワクワクとウキウキで一人、にやにやが止まらなかったわけですが、
それはアメリカに行ってからも変わることなくホームシックゼロ
そんな当時は90年代。
日本に電話をするにも、ホームスティ先の電話を借りてコレクトコールか、
国際電話のできる公衆電話でコレクトコールをしないといけないのですがなかなかそれも多くあるわけではないし、
ホームスティ先にも悪いのでそんな頻繁にかけたりできないし、
携帯やメールなんてないので、はがきや手紙です。
とにかく手紙を書いて送ったり、コレクトコールで電話をかけるのですが、
みんなはよく、国際電話のできる電話を見つけては、日本にかけて電話口でシクシクと泣いていました
私はと言うと、同じくアメリカに絶大な憧れを持った友だちと二人で
そんな電話をしている暇はないというほど毎日を満喫し、
どうにかしてここに置いていったもらえないか、
このまま留学したいねって話すほどでしたが
当時の私に言いたい。
なぜ、もっとちゃんと英語を学ばなかったのか。勉強しなかったのか!!!!
アメリカの生活を楽しむというより
その雰囲気に友達といることが楽しくて仕方なくて,その場の空気感だけを楽しんでいたんですよね
大人になった今ならわかる!!
もっと積極的に家族の人に色々聞いたり話しをしたりするべきだったし、
もっとたくさん学べることがあっただろうなって思います
何となく楽しくて何となくヘラヘラとして過ごしてしまって
もっともっと吸収できることはあっただろうな・・と
年齢を重ねて欲張りになると思うわけなのです
語学って本当に大事ですよね
そして外国の言葉ができるだけで世界が広がる
私は将来、3カ国語話せる様になりたい!!という意気込みを持っていましたが、
日本語もままならない今日この頃。
なかなか前途多難です
そのため頑張って日本語を書き連ねたいと思うので
どうぞお付き合いください
アメリカの話はまたの機会に・・・
ではオーストラリア旅行の続きをご覧ください
ヒッピーの町ニンビン
海から離れ、山に入り、綺麗な緑と青空は広がる道に入ると
シドニーとはまた違った、壮大な景色がどこまでも続いています
そのまま車を走らせて山道を抜けると小さなかわいい村(?)があります
その名も「Nimbin(ニンビン)」
看板からしてもうかわいい!!
その昔ヒッピーが作ったと言われる村なのですが、
ヒッピーの地とも言われているそうで、
バイロンベイにもヒッピーな感じの人も多いのですが、
こちらの雰囲気は本当にガチ
私たちはこのかわいい街並みと雰囲気を見たかったのと
ヒッピーの雰囲気を持つ雑貨などやオーガニックなものなども欲しいなと思っていたので
行ってみたかったのです
ボヘミアンとかヒッピーな服装大好き!
でもここはヒッピー=と言えばなマリファナがこのエリアではなぜか合法?と言われている地だそうで
大麻草の収穫祭なんかもあるとか。
ちなみに私たちはマリファナはやらないです(ナチュラルにハイになれるからそういったものはいらない)
小さな小さな通りはそれはそれはもう映画の世界のようにかわいいアットホーム感でした
鮮やかで色鮮やかですが、ちゃんとハイハーブなどの文字もありますね
小さなこの町はみんな知り合いのようで、
ロコな人たちは、すごく気軽にみんな通りすがりに声を掛け合っていて
おじいちゃんから子供までみんな知り合い。みたいな感じがとっても温かい感じがしました
風にはためく美しい布
ピースフル。
初老感のあるコアラもいてかわいい
小さなこの通りには店先でのんびり語らっている人たちも多くいて、
それはそれは陽気にみんなニコニコしていて、
お店の中なんかもかわいい雑貨があったり、アクセサリーがあったり、
オーガニックのものが沢山あったりして
穏やかな空気感の町でした
おや?と思う奥にバーのようなちょっと冷やかしじゃ入れないような空間があったのは確かです
注意:くれぐれも改めて申し上げます
私たちは、ニンビンには昼間にしか行っていませんし、マリファナなどの接種をする場所にも行っていませんので、
そういった場所での安全面も含め、夜の治安事情もわかりません。
通りから奥に入ったりもしていないので詳しい治安事情などは分かりませんので、安全などはご自身でちゃんと考慮してください。
ここだけでなく、海外では特に、完全に安全と言い切れる場所はありません。
私たちは基本的にこんなのほほんと過ごしていますが、危険意識は常に持っていて、一人で行動をしたりもしていません
ここはもっと写真を載せたいので次回に続く・・・・
ぜひご覧ください
おまけ
ヒッピーのスタイルとかメイクとか髪型とか
何であんなにキューンとくるんでしょう???
アクセサリーとか髪型とかメイクとかもちろん服装とか
全てにおいて
いい感じに力が入りすぎてないのにパンチがあって
何ともかわいくてたまらなくて大好きです
ではまた。
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この旅のブログを初めから見る場合はこちら
⇨『オーストラリアの旅2019〜計画編①』
オーストラリアの旅行ブログ1日目からはこちら
⇨『オーストラリアの旅2019〜No.1/到着』
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